この前、米TVで放映されたシスターフッドバンドとのアコーステイックライヴのリックのインタビューとその日本語訳です。
– JGのMVがかかり、
オープニングのギターリフは、ギターをただ即席で弾いている最中、突然ひらめいたけど、特別な意識はなくて、繋がりの線に使うようなものだった。自分にとっては、曲のコーラス(と、リックは言ってますが、英語圏では、合唱ではく、“サビ”、”リフレイン“的な意味で通常は使われます)が重要で、もともとコーラス重視の人間だった。それが曲の扉を開けることになって、ギターだけだったこともあるし、すぐあの曲だとすぐわかる。曲を書く時はすばらしいコーラスをいつも探しているけど、その時は特別にいいコードを探していた。それで、当時は、ラジオで、ギターベースの曲が流行していなく、当時、パンク音楽に影響されていたので、パンクっぽい音になった。
– JGの曲の由来は?
曲を書いて、ツアーして、また曲を書いてツアーをしていたけが、あまり成功しなく、何もすることがなくなり、他のことでお金を稼ごうと思った時に、自分は手で何かを作るのが好きだったので、パサディナにあるステンドグラスのクラスへ通い出した。正直に言って、マスターになって、将来の家族を支えようと思たんだ。そうしたら、とある女の子が目に入り、でも彼女には、ゲアリーという彼氏がいて、家に帰り、ギターを取り出し、自分の性的苦悩を、彼女が欲しいという、曲のストーリーがそこから出てきた。彼は特に友人というわけではなくて、知り合いという感じだけど、曲として(友人の方が)合っていた。いつも、曲を作った瞬間が好きなので、最初に曲を書いたものを取ってある。エキサイトする。(JGの最初の歌詞を書いた紙を見せ)上の半分は、「Love is alright 」で、当時は紙は高かったから(冗談)。これを見るとちゃんと曲に見える。全く見えない他の曲もあるが、これは、自分として曲の構成に関する考えが固まっていたのがわかる。名前も経歴も知られていない人の最初のヒット曲はマジック。その次は、曲。感情を分かち合えて人とつながる。それを見れたときは、夢が現実にかなったと感じ、その成功は明らかに僕の人生を変えた。基本的にそこからキャリアーが始まった。
– ツアーについて。
人はもう嫌になっているのではないか?と聞くが、ツアーはもう自分の一部になり、家族のようなもの。リフを弾くと、カメラらが出され、それが自分が作ったもので(会場を)統轄している。12歳の子供が(自分の曲を)歌っているのは、パワフルだ。
– ここで、JG演奏。それから共演したシスターフッドバンド二人の話。
リックは、「すごくナイス。録画が始まる2時間も前から付き合ってくれて、どこかにいかなくてもいいの?って思わず聞いちゃったわ。」「会ったことはなくても、あのよく知られている曲を百万回もラジオで聴いた(人と共演できたのは)、アメージング。」
– また、インタビューに戻り、
最初にインスパイヤーされたのは、父。オーストラリアの田舎で、家にテレビがなくて、電気があればラッキーで(これは多分冗談)、夜、夕食後、テレビの代わりにピアノの周りに座り、みんなでブロードウエイの曲を歌った。父親はいい声の持ち主で、みんなで歌った。それから、ビートルズを見つけ、自分で曲を書いて、他の人の曲を歌わなくっていいというのは革命だった。曲を書き始めたのは、正直に言って15歳。ゴミのような曲だった。でも、はけ口を見つけたような気持ちだった。僕は、一人で、いつも引越し、父親が陸軍にいたから2年おきに転校。だから、人生における友達というのができなかった。いつも仲間の外にいて気分屋。おそらくその頃から、鬱病が始まって僕に居着いた。ギターを学んだら、学校には全く興味がなくなり、それを曲にして書き出せる感情を持たせ、自分に することを与えてくれた。
-「Love Somebody」について。
「Hard to Hold」という映画の撮影中に書いた曲で、最悪の映画だったが、映画のために何曲かのいい曲を作った。ペントハウスで僕の作曲のパートナー役だったパティーハンセンと共演したが、基本的には、彼女の気の強い女性役のキャラクターについて書いた。元にあるのは、たくさんのことを与えてあげても、彼女が欲するものを与えていない感情。そうゆう人をたくさん知ってるし、多分、自分もそんな一人だったと思う。実際は、自分のことについて書いたのかも(笑)。曲は、映画のどうでもいい挿入曲で終わる可能性があったが、たくさんのいいレヴューをもらった。「彼のペースを変える一曲」、「真のロックンロール」など。家に帰り、ラジオのチャンネルを回していたらロスのメインの3放送局が同時にこの曲をかけていたときは、石になってしまった瞬間。かなりの賛辞に感じた。いい曲だったのは知っているが、いまでも(LSは)その頃に自分が書いた大好きな曲。
– 再び二人の女性シンガーのお話
– LS演奏。
「ルビー(ちょっと調べたらこの金髪の彼女のお父さんは、ななななぁ〜んと、かの有名なロッドスチュワートらしい。ちょっと目から鱗。お父さんと違って、全くブリテッシュアクセントがないので、お母さんは誰?あのたくさんの妻の中にアメリカ人いた?)と私は、ここ数日間、これらのRSソングを細かく分析してみて、これに加われたことがとても楽しかった。こういうことをした音楽番組は今までになかった。」「たくさんの音楽番組がしのぎを削っているけれど、それは、音楽の本質を解いているのではなくて、音楽とはみんなと一緒になって演奏し、、、」「私が思うに、重要なことは、その曲をショーケース的に紹介する番組、ナッシュビルでは全てがそれで、曲から始まり、その曲のどこがスタート、どのようになってどうやって始まったのかを見つけられる。」「そう、それはクールだね。」「素敵よ。」
– もし自分が書けたらいいなと思った曲?
ビートルズのあらゆる曲。多くあり過ぎる。本当に信じられないくらい。「Strawberry Field Forever」、「Hello Good-by」。「You Really Got Me」はとてもずっと頭の中に残っていて最高だし。なぜかというと顔を顔を蹴られたような〕大きな衝撃を受ける。人生を変えた曲?それは僕に人生を変えた曲だ。
– Don’t Talk to Strangersについて
JGの歌詞の紙に「Don’t Talk to Strangers」と書かれていて、ちょっと変だけど、おそらくそれをJGの歌詞に入れようとしていたのだと思う。タイトルについては覚えていて、自分はとても気に入っていた。それは、子供に使うフレーズで、レノンが(もちろんJohnです)いつも子供のフレーズを歌詞に入れるのを覚えていて、僕はいつも使ったことのないフレーズを思い立ったときは、それを紙に書いて残しておく。(と、ここで、そのDTTSの歌詞の紙が画面に映る)その頃、僕は、ガールフレンドと問題を起こしていて、初めてツアーに出てたし、誘われるままに彼女を裏切っていた悪いボーイフレンドだったけど、彼女も僕がいない間、同じく僕を裏切っていただろうと思っていたんだ。けど、彼女はいい心の持ち主でそうではなかった。この曲は、そんなところから生まれた曲。僕の性的なパラノイドから生まれた曲。彼女は、僕がいつも二人の関係で、悪い時のことばかりを曲に書いていると心配していたが、僕はそこからいい音楽が思い浮かぶし、楽しい曲はあまり書かない。楽しいときはみんなと遊び回って、曲を書きたいと思わないからね。でも、自分が怒っているときとか、気になることがあったりるときは曲にする。JGは楽しい曲に聞こえるけどそうではないし、DTTSも然り。唯一の自分が書いたハッピーソングは、LIATで、パーティーソングみたいなもの。DTTSはJGの尻尾的にヒットにつながった曲で、いい曲だった思う。フックはよかったし、音がミックスされたのを聞いたときは、「ヒットになりそう!」と言った。今まで、こんなことは、言ったこともなかった。ラジオ局がブートレッグのDTTSを手に入れかけ出し、「みんな次は僕がどんな曲を出すのか興味があるんだ」と考えたんだ。僕は、JGより構成やいろんな面でいい曲だと思う。間違っているかもしれないけど。
– DTTSを最後に演奏。
日本語訳を読んでからもう一度観ました。なるほどなるほど(!笑)。
私は音楽の専門知識が皆無なのでうまく言えませんが、確かにリックの曲にはかっこいいコーラス(サビ)が多いけど、イントロも強烈なのが多いですよね。あ、これ!って一発でわかって歌い出しまでワクワクしてしまうもの、ギターの部分なのに一緒にうたいたくなるようなもの(JGもLSもそうですよね)。
「関ジャム 完全燃SHOW」を時々観るのですが、プロのミュージシャンがみんなが知っている曲がどう出来てるとかコードとか詩の隠れた意味とか、普段考えないことを教えてくれるので非常に興味深いんです。それがこの番組ではリック本人が話していて、そのあと歌ってくれるんですから、もう最高ですね。この女性2人のコーラスもすごくよかったです。
ステンドグラスのマスターになって将来の家族を支えようと思ったとか、成功をつかんだ瞬間の話とか、リックのその頃の気持ちも知れて感激しました。でもHTHってひどい映画だと思ってたんですね(苦笑)。だけどあのサントラに入ってるリックの曲は全部かっこいい!大好きです。
これからもグッとくる曲を作ってくれると思うのでますます楽しみになりました。
日本語訳ありがとうございました。
どういたしまして。楽しんでくれてよかったです。当時、他のかなりいい映画の出演依頼があったらしいけど、HTHは主役だし、ギャラもよかったのでシナリオはよくなかったけど、音楽のように自分が中心になって変えることもできるだろうと思い、特に自分のエゴが強かったので引き受けたと、過去にインタビューで話しています。実際、米では映画自体は、ロックスターがロックスターの役なので演技ではないなどど、酷評だったらしいです。おかげで、その後、映画出演の依頼がリックにはなく、Ricky and the Flashが記憶に新しいけどその間、実際何もなかったですよね。